クジュラのブログ。

なにとぞ。

12.21 #だいすきゆかにゃ

山木・稲場のチェキレポを書かないままに1ヶ月。もっと早く書いていればな、と思った。正直、今はどうだったかあんまりよく分かんなくなってしまって直後より書けることが少なくなっている……ので、今日は今すぐに書きたい。

(羅列するのでかなり読みにくくなりました。読ませるだけの技量がほしい)

 

 

 

金曜日のこの時間は人と会っていることが多く、例に盛れず今日も人の前で涙を我慢した。数人にバレたかもしれないが、その程度では済んだ。

 

来ないでくれとは思っていても、来ることは分かっていたつもりだったし、自分でも整理は出来るのだろうと思っていたけれど、あっけなく泣けてしまった。

 

ゆかにゃを好きになったのはホントに最近で、Juice=Juice自体に本格的に興味を持ったのも今年からだったかもしれない。ちょうど発表された「雑煮でケンカしてんじゃねーよ」は中でもかなりの衝撃だったし、新しい扉が開いたことがはっきりと分かった。そして、初めてJuice=Juiceの単独コンサートにも行って、一本しかないペンライトの青を振ってたのが最終的にはピンクになっていた。

 

僕が今までしてきたことは全くゆかにゃの応援になっていないだろうし、ただ楽しいそれだけでやっていたから、反省の面がとても大きい。

反省するくらいならそもそもやるなよということだけど、その感情半分のどうしようもなさが半分というところが発表を目にした時点での印象。終わりなんて想像しないで楽しくなっちゃっていた。

 

 

「Juice=Juiceの宮崎ゆかにゃがとして輝かせてもらっていたんですけれども、私宮崎由加個人としてなにか輝けるものを見つけたい」

 

 

何よりもまず『Juice=Juiceの宮崎由加として輝かせてもらっていた』という表現からしてゆかにゃだなと思い、Juice=Juiceでいながら、それを築きながら客観的にJuice=Juiceというグループの価値を控えることなく言える芯の強さを感じてしまった。

 

そして、それに『個人として』と続けた。個人でも十分輝ける、輝いていると思えるが、前述の通り、Juice=Juiceという存在の偉大さがそうさせた部分もあるのだろうと思う。

 

あやちょは「自分がこのグループで掲げる夢と、メンバーとの夢の差に気づいた」という意味のことを述べたように記憶している(違ってたらすみません)が、グループのリーダーにとってはやはりなのか、意外というべきなのか、所属するグループと自分を比較する側面が強いのかもしれない。

 

また、今回の発表は中西、野中と軽い(決して軽いものではなかったけど、卒業と比較すればの話)お知らせで「びびらせるな!」となっていた流れでのものだったので、事務所が意図していたかどうかはわからないが、通常の発表以上に虚無感というかダメージがすんなり心に突き刺さって抵抗する気力もそういう感情すら沸いてこなかった。

 

(この表現でどこまで通じるかは分からないが)

 

動画の印象ではとても明るく揚々としていて、未来に向かう明るい姿がまぶしいくらい。不安がなさそうでこちら側だけ置いていかれるような感じもあった。

 

宮崎由加として何をやっていくのか純粋に気になる。そしていつまでも応援させてくれる気を持たせてしまうのも彼女の凄いと同時にいけないところなのかもしれないが、本当に死ぬまで人に応援されていそうな、そして人を勇気与えられるアイドルなんだろうと思った。

 

文章の終わりに近づいて、ゆかにゃはアイドルそのものの姿かもしれない。

それは他を否定する訳でもなく、個人的なアイドル像が正にこれかもしれないと感じられたから。見ていて楽しいアイドル、有限なはずの時間を永遠に続くかもしれないと思わせてくれるアイドル。

この人なしで今年の自分がどうなっていたのかは想像がつかないくらい楽しかった。

 

期間は短かったけど、まだあと半年あるし、幸せな"歌って踊る"ゆかにゃを見られることを人生の岐路である今の支えにしていきたいと思っている。

 

来年、就活ど真ん中だし。確実に卒コンまでに終わらないので、日が被らないことを祈っている。